グループの成り立ち

グループの歩み

クリーンテック・グループの原点

「不要なものを捨てる場所」こそ、美しく開かれた場所でなければいけない。その考えは、それまでの業界のあたりまえを覆したものでした。通常、廃棄物の運搬から事業を始め、中間処理施設、最終処分場を広げていくケースが多い中、最終処分場の建設から事業をスタート。その原点にあったのは、創業者、反後 堯雄(たんご たかお)の強い正義感と使命感でした。

「役に立ちたい」、
その想いが医師との信頼を築いてきた

堯雄は1958年に大学卒業後、熊本放送で黎明期の地元局を支える営業でした。また、その時代に熊本では水俣病が発生し、堯雄自身もこうした問題に胸を痛める一人でもありました。
それから8年後、兄が経営する身体障害者福祉事業財団を手伝ったことをきっかけに医療業界との関係が生まれるようになりました。やがて医師たちの悩みを聞く中で、町の開業医でも最新の医療機器を入手できるよう、1970年に日医リースを設立。時代のニーズを先読みしたこの事業は、瞬く間に全国に広がり、4,000近くの病院が取引先になりました。さらに、医師たちの役に立ちたいとアメリカのナショナルメディカルエンタープライズと提携し、医業と経営を分離した経営のノウハウを確立した病院を千葉県市川市に設立しましたが、そのノウハウが当時の日本の医業文化に理解されず売却することになってしまいました。
その後はメインバンクと経営方針があわず、病院向けカーテンのリースなどのメンテナンスリース業を日医リースから切り離し、1981年に日本クリーンサプライ(現クリーンテックメディカル)として再スタートすることになったのです。残されたのは小さな会社だけでしたが、「こんなことで負けてたまるか」と堯雄の不屈の精神はまだ潰えてはいませんでした。

医療廃棄物の問題を目にして、
本格的に環境事業へ

90年代に入った頃、病院関係者との深い付き合いの中で、堯雄は増え続ける医療廃棄物の問題に気がつきました。
医療器具のディスポーザル(使い捨て)化が急速に進んだことで、不法投棄が横行するようになっていたのです。
「この問題を放置すれば、病院の信頼そのものが失われてしまう。何とかしなければ」。ところが、信頼できる中間処理業者を探してもなかなか見つかりません。ようやく見つかった業者も中間処理後の残さを東京から青森や福井の処分場までわざわざ運びに行っているという状態でした。当時、関東一円の最終処分場は既に埋め尽くされ、ほとんど残っていなかったのです。
「廃棄物の問題は元を正さなければ解決しない。よし、それならばまずは俺が世の中に一番不足している最終処分場を作ろう。最終処分場がなければ安心して医療廃棄物の中間処理ができない」。医療廃棄物の実態を間近で見ていた堯雄の考える最終処分場は、人の暮らし、自然環境を守ることを第一に考えたものでした。
「捨てることができればいいという処分場ではなく、どのような視点から見ても安全で、環境も暮らしも守れる最終処分場をつくりたい。いや、つくるべきだ」。
世の中の変化に応じ、人の役に立つ。この堯雄の考えこそがクリーンテック・グループの原点なのです。

創業者の想い

環境問題と、
真正面から向き合い続けて

「医療従事者をはじめ、多くの人々が不法投棄に困っている。その解決にはしっかりとした受け皿をつくる必要がある」。そう強く思うようになり、私はこの業界に飛び込みました。当時は、今ほど人々の環境への意識も高くなければ、増え続ける医療廃棄物に対して法整備も追いついていない状態。惨憺たる不法投棄を目の当たりにして、最後まで責任を持って処理する、これまでにない品質を誇る最終処分場をつくろうと決意。まさに茨の道でした。

当時、排出してしまえば収集・運搬会社任せに、中間処理を行えば、その先は相手任せになってしまうといった実態がありました。そのような中で、最終処分場という廃棄物のゴール地点のクオリティを上げ、中間処理や収集・運搬機能を持つことで、一貫してプロセスの品質を保ち、理想的な処理・再生のサイクルを回すことができる会社を目指そう。その想いでここまで歩んできました。

これまでモノを生み出す動脈産業は、経済の主役として注目を集めてきました。その一方で、廃棄物の処理を行う静脈産業は、目立たない影の存在。むしろ、あえて目を背けてきたともいえます。しかし、「環境の世紀」とも言えるこれからは、この二つを分けて考えるのではなく、統合して一つの大きな循環として考えていく必要があります。

そして、環境とは私たちが暮らす地球や自然、日々、呼吸する空気そのものです。つまり、誰にも切り離せるものではないのです。ごみという言葉は「護り、美しい状態で自然に戻すもの」であり、「護美(ごみ)」とも表現されます。私たちは、その取り組みの一つとして、飯坂の処分場に鳥や木々を取り戻す仕掛けも行っています。私たちが何の工夫も配慮もしないままでは、環境はすり減り失われてしまうだけ。私たちは意志と知恵を持って、優れた環境の砦をつくり、よい循環を育んでいきたいと考えています。

クリーンテック・グループ
創業者・相談役名誉会長
反後 堯雄

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